先月のフランクフルト(オーデル)の時にご紹介したように、ドイツにはフランクフルトが2つあります。 そして今月、もう1つの有名な方のフランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)に行ってきました。

今回も電車の旅です。といっても前回よりはずっと距離があり時間がかかります。 ベルリンからフランクフルト(オーデル)までは地域特急(Regional Express)で約1時間30分ですが、 フランクフルト(マイン)までは都市間超特急ICE(Inter City Express)で約4時間の旅になります。 もちろん車でも高速道路を飛ばして行くことが出来ますが、一度ICEで旅行してみたかったので、今回実現してみました。

ツォー駅を7時40分発のICEで ICEがホームに、いよいよ出発!!

ICEの座席は、日本の新幹線のように2座席ずつが両側に並んでいるところと、6人分の座席の部屋になっている部分があります。 6人で旅行に行くなら正に個室状態になりますが、そうでない場合は当然知らない人々と同じ部屋になります。 私達の席もこの個室の中の2席で、行きの列車では親子連れ(母と息子)と女性と私達の計5名が1つの部屋でした。 さて、4時間というのは意外に長いものなんですね。朝早かったのでまずは一眠りしたんですけど、まだまだ時間はたっぷり(笑)。 カフェのある車両にいってコーヒーを飲んだりして過し、やっとフランクフルト(マイン)に到着です。

部屋の横の通路 部屋の中には6人分の座席 こちらがカフェ、奥にレストラン

さすが大都会の中央駅だけあって駅も大きいです。そして駅から外に出て最初に目に付いたのは高層ビル群。 そう、ベルリンには高いビルがほとんど無いんです。ましてや群をなしているところなど無いです。 さすが世界的に有名な金融都市、欧州中央銀行がある町、ドイツ連邦銀行がある町、凄いです(すっかり田舎者発言)。

到着!! さすが、大きな駅です 駅前から高層ビルが見えます!! こんなビルもあります

まずはホテルに行ってチェックインしました。実はホテルに荷物をおいてから再度駅に戻って電車に乗り、 この日の午後はマインツ(Mainz)とう町に行ってきたのですが、その町はまた別の機会にお伝えします。

ということで、翌日から本格的なフランクフルト(マイン)の観光開始です。この日は朝から雲行きが怪しくて、 今にも雨が降ってきそうな天候でした。最初に向かったのはレーマー広場(Roemerplatz)です。 この広場には木組みの家が並んでいるのですが、どことなく違和感を感じるんですね(笑)。 というのも、これらの木組みの家は比較的最近になって再建されたものだからなんです。 金融都市として近代化の道を進んできた町なんですが、やっぱりどこかに昔の姿を留めておきたい、 そういう理由でこのレーマー広場だけ再建されて保存されているのです。 でも、ツェレクヴェトリンブルクを知ってしまうと、 どうしても現代的に綺麗過ぎるというか整いすぎているというか、そういう感じがしてしまうのは仕方ないですね。

レーマー広場、石畳と木組みの家 戦災を免れました 落ち着いた祭壇

広場に面して立つニコライ教会(Nikolaikirche)は1290年に当時の宮廷の礼拝堂として建てられたもので、 この町の中では第二次大戦での爆撃を免れた数少ない貴重な建物のひとつです。 プロテスタント系の教会となっているため、豪華な装飾のない落ち着いた内装の教会です。

大聖堂(Dom)、正式には聖バルトロメウス大聖堂(Dom, St. Bartholomaeus)は高い塔が遠くからでも目立つ教会です。 もともと9世紀頃に建てられた教会があった場所に13〜15世紀にゴシック風の教会を建築、 さらに高さ95mの塔は1415年から建て始め、完成したのはなんと1877年、462年間かかってます!! ただし、この塔は現在改修工事中(来年くらいまで閉鎖予定)、残念ながら登ることが出来ませんでした。 この教会では神聖ローマ帝国皇帝の選挙と戴冠式が行われてきたんだそうです。

現在工事中です 中も大きいです 祭壇は派手さはないけど綺麗です 入口の方にあるのがこちら

次に行ったのはモダンアート美術館(Museum fuer Moderne Kunst)です。 ウィーンの建築家ハンス・ホラインという人が設計したという美術館は、まず建物が三角形で、 建物の中も入り組んで展示室が配置されている珍しいものです。 展示物は美術館の名が示すとおりモダンアートで、面白い物から、私の様な凡人には理解に苦しむものまで(笑) いろいろありました。

愛称は"ショートケーキ" 迷路の様な美術館へようこそ、入口です 作品の1つ、巨大なファイルボックス

朝から怪しかった雲行きですが、美術家を出る時はついに雨が降ってきてしまいました。 足早に向かった次の場所はゲーテハウス(Goethehaus)です。

ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)は1749年にここフランクフルト(マイン)で生まれました。 ゲーテが生まれた時にはまだバッハは生きていましたし、少年時代のモーツァルトも彼は知っていたそうです。 亡くなったのは1832年、83歳の天寿を全うしたのであります。 19世紀終頃の平均寿命は男性で35歳前後だったと言われているようですから、当時としては驚異的な長生きだったと言えます。

ゲーテ博物館から入ります 中庭は小さめですが良い感じです あれがゲーテハウス

ゲーテハウスへは、まずゲーテ博物館(Goethe Museum)から入り、中庭を通ってから入ります。 実はこのゲーテの生家、第二次世界大戦でほぼ完全に破壊されてしまったため、今あるのは戦後に忠実に復元された建物です。 家の中に展示されている調度品の多くは戦時中は別の場所に置いてあったおかげで破壊を免れ、再びここに戻ってきました。

家は4階建てで1階には食堂や台所、2階にはサロンや音楽室、3階にはゲーテ誕生の部屋や父母そして妹の部屋、 そして4階には『若きヴェルテルの悩み』や『ファウスト』などを執筆した詩人の部屋などがあります。 部屋にはゲーテの机や当時の手紙なども展示されていました。

ゲーテ誕生の部屋、壁には出生証明書も 詩人の部屋、ここで沢山執筆されました 直筆のノートと思われます

「もっと光りを!(Mehr Licht)」はゲーテの最後の言葉としてあまりにも有名です。でもある本によれば、どうもそれは疑わしいとのこと。 というのも、「もっと光りを!」という言葉を伝えたのはゲーテの主治医フォーゲル博士らしいのですが、実はこの博士、 ゲーテ臨終の時に彼の横にはおらず、その言葉を実際に聞いたわけではないのだそうです。 それならゲーテ最後の言葉は本当は何だったんでしょうか? 臨終までの最後の8年間ゲーテに使えていた下僕のフリードリヒのメモにはこうあるそうです。

「ゲーテが私の名前を最後に言ったというのは本当ですが、それは窓の鎧戸を開けてくれというためではありません。 彼が最後に言ったのはBotschamper (pot de chambre = 溲瓶(しびん))をとってくれというものでした。 そして彼は自分でそれをとり、胸にしっかり抱いて絶命いたしました」 ※『天才たちの死に学ぶ』 西義之著より

このメモが発表されたのはゲーテの死後約100年経ってからでした。 結局のところ真実は闇の中で、最後の言葉の本当のところは分からずじまいのようです。 確かに偉人最後の言葉が「溲瓶をくれ!」ではかっこ悪いという人もいると思いますが、 その一方で、偉人であってもやはり同じ人間なんだよねぇ、という親近感があるような気もします。 あ、ゲーテファンの方、気分を害されたらすみません。私は専門家ではありませんので、ここは軽く流して下さいませ(笑)。

さて、ゲーテハウスを出た時は運良く雨も止んでおり、この間を上手く使って移動です。 この日の残りの時間はお買い物タイムとうことで、まずは某日系百貨店へ向かいました。 そこへ向かっている間に再度雲行きが悪くなってきて、しかもだんだん風も強まってきたんです。 何かを察したのか、幾つかの商店では店頭の展示品を店内に仕舞い始めました(さすが!!)。 そして百貨店に入ってからしばらくして、案の定、豪雨と強風がやってきました。

嵐が去ってから店を出て、さらに数件まわってお買い物タイム終了です。え? 何を買ったかですか? いや、今回は単なるお買い物でして、この町に関係するお土産とか記念品とか、全然そういうのではありませんので 発表は控えさせていただきます(汗)。

嵐が去った後にはお約束の青空です。すっかり晴れ上がった空の下、ホテルへの帰りは、 あちらこちらに寄り道をしながら戻ってきました。

正義の女神の噴水 マイン川から見た高層ビル群 欧州中央銀行

最終日です。この日は朝から既に雨でした。ホテルをチェックアウトしてからまず駅のコインロッカーに荷物を預けて身軽になり、 シュテーデル美術館(Staedelsches Kunstinstitut und Stadtische Galerie = シュテーデル芸術研究所及び市立画廊)に行きました。 この美術館はこの町の銀行家シュテーデルの寄付によって設立されたものです。金融の町ならではですね。 建物は大きく、館内には陽の光りが入るレストランもあり、絵を観た後でここで昼食をとりました。

美術館はマイン川を渡った東岸に ちょっとお洒落なレストラン 絵を見たあとで昼食

展示されている絵は、デューラー、ラファエロ、ルーベンス、レンブラント、フェルメール、ルノワール、モネ、ピカソ、マティス、などなど、 中世から現代までの非常に広範囲な内容です。数少ないフェルメールの作品の1点も所蔵してるのは凄いです。 この美術館は見逃せません。

フェルメール ルノワール レンブラント ルーベンス

美術館を出てから、昨日も来たレーマー広場へ再度やってきました。 レーマー広場にある旧市庁舎レーマー(Roemer)の中に皇帝の広間カイザーザール(Kaisersaal)があるのですが、 実は昨日着たときは入れなかったのです。この日は大丈夫だったので早速中に入って見に行きました。 ちなみに入口は正面には無く、建物に向かって左側の路地を歩いていくと小さな門があり、それを通るとさらに門があって、 その奥が中庭、そして螺旋階段を登ってカイザーザールへの入口となります。

切り妻屋根の旧市庁舎レーマー ここが入口です 中庭はこんな感じ 52人の肖像画がずらり

カイザーザールには神聖ローマ帝国皇帝52人の等身大の肖像画が飾ってあります。この部屋はもともと戴冠式の後の祝宴会場だったということです。 といっても煌びやかで豪華な装飾があるわけではなく、むしろ大広間って感じでした。 豪華な部屋を期待して見に来てしまわないようにご注意ください(笑)。

最後はレーマー広場の側にある円柱のような建物が特徴のパウルス教会(Paulskirche)です。もともとの建物は第2次世界大戦で大きな被害に遭い、 現在のは戦後に再建されたものです。赤レンガ模様の外観とは対象的に中は現代的で、 ドーム天井も中央部分にガラスが使われていました。 1948年に第1回国民会議がここで開かれたということで、自由・統一・民主主義の象徴となっている教会ということでした。

円柱の様な特徴的な建物 中は現代的な教会 この教会も戦争の被害に

さて、これにて観光は終了です。またICEに乗ってベルリンに帰ります。帰りも6人席の個室で私達以外の4席はドイツ人、 しかも知り合い同士の旅行中4人組(中年!?夫婦2組)でした。満席状態ではありましたが、逆にドイツ人4人いてくれれば、 貴重品以外の荷物を置いてカフェ車両に行っても大丈夫だねぇという安心な面もありました。 ま、本当はドイツ語が堪能であれば、いろいろな旅の会話ってのが出来るんですけどね(汗)。

16時13分発のICEでベルリンへ こんな表示が車内にありました この時は160km/hで走行中でした

フランクフルト(マイン)は本当に都会でした。一部に昔の姿を留め様というのもありますが、やっぱり良くも悪くも近代化された町です。 今回は、もともとICEで旅行をしてみたかったのでICEで行きましたが、車で行ったら駐車出来る場所を探すのも結構大変だったと思います。 ある有料駐車場では入場待ちの車が長い長い列になっていました。町の主な見所は歩いて周れますから、この町へは電車で来るのが良いと思います。

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