6月12日からアンネの日記で有名なアンネ・フランクの写真展、『アンネ・フランクと彼女の家族』が始まりました。 彼女は1945年3月にナチス強制収容所で亡くなり15年の短い生涯でこの世を去ったのですが、 この日はアンネの誕生日で、もし彼女が生きていたなら75歳になっていたということで、 この75回目の誕生日記念にベルリン・アムステルダム・ニューヨークの3都市で開幕されたのが、今回の写真展です。 写真愛好家だった父親のオットー・フランクが撮影した写真で未公開のものもあるということなので見に行ってきました。
まずは場所探し。というのもある通信社のニュースで写真展のことを知ったのですが、場所や住所が書いてなかったんです。 それでインターネットを駆使してドイツの放送局のWebの中から記事を見つけて住所が分かりました。
そして、実際に行ってみて、驚きました。
この奥のようです | 写真展のポスター | 中に入っていきます | 古い建物と細い通路 | そして看板を発見!! |
へ!? この建物の上!? | 落書きだらけの木の扉 | この階段を上がります | 案内板が出てきました | はい、こちらです |
表通りに案内板が出されてたのですが、それが指し示す方向は張り紙や落書きだらけの通路なんです。 そこを進むと、ところどころ壁の剥げ落ちた古い建物の間に続く細い道になります。 その道を歩いていくと壁がぼろぼろで落書きだらけの木の扉のある建物にアンネの顔がついた看板があり、 その建物の2階(日本で言う3階)が会場だというんです。半信半疑のまま上がっていったら、確かにありました。
会場の中は綺麗にされていました(というか、多分普通の部屋なんですけど、そこまでが凄かったので)。 アムステルダム及びニューヨークではどんな会場で開催されているのかは知りませんが、 このベルリンの会場はどうしてこの建物なの!? というのが正直なところです。
そしてさらに驚いたことに、なんとここはアンネ・フランク・ツェントラム(Anne Frank Zentrum)というものでした。 これはつまり、写真展のための一時的な会場ではなく、ベルリンにあるアンネ・フランク館ということだったのです。 ますます、どうしてこの建物が!? という思いが強くなりました。
会場へ入いると、受付のすぐ横にはオットー・フランクの写真、その先からアンネと姉のマーガレットの写真が展示されてました。
写真が並ぶ会場 | ビデオの映写室 | アンネ・フランク・ハウスの説明など |
アンネのフォトアルバムや母子手帳も展示されてました。フォトアルバムにはアンネが後になって記した写真に関するコメントが書かれていて、 それはフランク一家がまだ幸せに暮らしていた時代のもので、彼女のコメントも楽しそうに書かれていました。 会場にはこの他に、フランク一家やアンネに関する説明のビデオ、またオランダ旅行の時に訪れた アムステルダムのアンネ・フランク・ハウスに関する説明などありました。 "アンネの日記"も展示されていましたが、こちらは複製で、オリジナルはアムステルダムにあります。
母子手帳には母とアンネの写真 | 1歳のアンネ | 祖母 アリス・フランク |
1冊目のフォトアルバム | 2冊目のフォトアルバム | これが"アンネの日記" ただし複製です |
中央のウール帽子がアンネ | スイス時代のアンネ | アムステルダムの学校時代の写真 |
アンネ・フランク・ハウスの模型もありました。この建物には表の家と裏の家があります。 表の家は、父であるオットー・フランクが経営する会社であり、裏の家が一家が隠れて住んでいた場所です。 ドイツから迫害を逃れてアムステルダムに来たのですが、ドイツがオランダを占領して以後はナチスのユダヤ人に対する迫害が強くなり、 1942年7月6日から一家をはじめとする8人は裏の家での潜伏生活を送り始めます。
通りに面した表の家 | 表の家の入口の部分です | こちらがアムステルダムの本物 |
裏の家に続く扉は本棚でカモフラージュして見つからないようにしてあったのですが、 最後は密告され、1944年8月4日、全員強制収容所に連れていかれてしまったのです。
右が表の家、左が裏の家(隠れ家) | 本棚でカモフラージュ | これは本物の写真 |
1945年3月、アンネはチフスと栄養失調のために15歳にして収容所で亡くなります。 アンネの友人であるハンネリ・ホースラルのインタビュー・ビデオも流れていました。 ハンネリは語ります。 「アンネは自分の両親が既に死んでいるものと思ってました。 私はいつも思うのです。もし父親がまだ生きていると知っていたら、彼女はもう少し生きる気力を持てたのではないかと。 彼女が死んだのは、彼女がいた収容所が解放される、わずか1ヶ月前のことだったんです。」
オットー・フランク | 悲劇を語るオットー・フランク | ハンネリ・ホースラル |
今回は、彼女とその一家の幸せに暮らしていた頃の姿を見ることが出来ました。 後の悲劇を知る由もなく写っている彼女とその家族の姿を見ると、なんとも複雑な気持ちがしました。
で、全体の感想ですが、写真展そのものは素晴らしく意義の大きいものでしたが、 はやりこの場所、そしてこれがベルリンのアンネ・フランク館だというのがやっぱりどうして!? という感じです。 さらに日曜日だったこともあるかもしれませんが、写真展を見に来ている人が非常に少なかったのです。 私たちがいる間に見た他の入場者は10人もいませんでした。
なんとも、残念なことです。