今回はベルリンとポツダムにある、歴史上有名な会議が開かれた会議場をご紹介します。
ヴァンゼー会議記念館 (Gedenkstaette Haus der Wannsee Konferenz)
1942年1月20日、ベルリンの南西部にあるヴァンゼーという湖の側にあるこの場所で、 ナチスドイツ親衛隊高官で保安警察長官であったラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich)の召集によって上層部が集まって会議が開かれました。 この会議での討議内容はユダヤ人に対する最終的な計画、すなわち強制収容・強制労働の末に虐殺する計画でした。 ここからホロコーストが始まったのです。
門を入って正面 | 湖に面した側 | 目の前にはヴァンゼーの美しい眺め |
湖畔に静かに建つ館は白を基調にした3階建です。湖に面した側には庭もあり、美しい湖の眺めが望めます。 その美しさがなおさら悲惨な会議内容を露にしている感じさえしました。
1階には当時のことを説明する資料や写真が展示されていました。
会議が行われた部屋 | 当時の部屋の様子 |
会議が行われた部屋もありました。当時の内装や家具は残されていないのですが、写真からうかがい知ることが出来ます。 壁には会議の出席者の写真と名前が貼られていました。
ガス室の構造と機能を表したもの | ここには掲載を躊躇する写真や資料もたくさん展示されています |
どのようなことが行われてきたのか、そしてどんなことが起こってしまったのかを、多くの写真を使って説明されてました。 とてもここには掲載出来ないような悲惨なものもありましたが、実際に起こった歴史上の事実として展示されていました。
ツェツィーリエンホフ宮殿 (Schloss Cecilienhof)
ベルリンのすぐ南に位置するポツダムにあるこの宮殿は、見た目はどちらかというと館という表現があう建物で、 20世紀初に建てられたプロイセン王国のホーエンツォレルン(Hohenzollern)家最後の宮殿です。 1992年に世界遺産に登録されました。そしてここは、ポツダム会議が開かれた場所として有名なのです。
古い木組みの館という雰囲気 | 周りには芝生の庭もいくつかあります | 正面の門から入ったところ |
1945年7月17日〜8月2日に開かれたポツダム会議では、アメリカ(トルーマン)・イギリス(チャーチル→アトリー)・ソ連(スターリン)が集まり、 ドイツの戦後処理をどうするか、そして日本を降伏させる策が話し合われました。 会議が行われた部屋は当時のまま残されていますし、各国代表が控室として使った部屋もあります。 会議前に他国の代表と顔を会わせずに済むよう、それぞれの国が違う入口を使っていたそうです。
館内は撮影禁止だったので、買ってきた絵葉書の写真で会議場の様子をご紹介します。
(C) Herst. u. Verlag Schoening & Co. + Gebr. Schmidt |
この宮殿、現在は一部分がホテルになっていて宿泊することも出来ます。部屋数も43室あるそうです。 インターネットからも予約が出来まし、ここに泊まるツアーをやっている日本の旅行会社もあるようです。
こちら側がホテル | ホテルの入口 |
ヴァンゼー会議とポツダム会議、それぞれ全く異なる意味で名を残した会議が行われた場所は、 どちらもまだ保存され、訪れる人たちに起こった歴史を伝えています。