11月の終わりに、4泊5日でローマ・ヴァチカンへ行ってきましたので、その様子をお伝えします。 でも、ローマ・ヴァチカンは世界的に有名な観光地ですし、 行ったことがある方もたくさんいらっしゃると思うので、今回は「そうそう、そうだったね」というのが多いかもしれません(笑)。 予めご了承くださいませ。


 〜 第1日目 〜

日本からローマに行くとすれば、ほぼ例外なくレオナルド・ダ・ヴィンチ空港だと思います。 ところが、ベルリンのテーゲル空港からレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へ行く直行便が無いんです!! なんってこったい。 で、調べた結果、ローマにあるシャンピーノ空港へエア・ベルリンという航空会社の直行便があるということで、 今回はそれを利用することにしました。エア・ベルリンも初めて、シャンピーノ空港も初めてです(笑)。

14時10分発 ローマ・シャンピーノ空港行 イタリアンの定食屋という感じ

さて、シャンピーノ空港についてビックリ。なんとも寂しい場所にあるんです。 まずは最寄のシャンピーノ駅へ行くのにバスに乗らなくてはいけません。バス乗り場に行ってみると、 おっといいタイミングでバスが来てました。行ってみるとバス乗り場にチケットを買う自動販売機があります。 さて、ここからが恐ろしいんですが、ローマの自動販売機は本当にひどいです。 まず、コインに対する反応が悪くて、かなりの確立で反応せずに戻ってきてしまいます。 さらにおつりが出ない、もしくは非常に限られている場合が多く、ほとんどの場合、ちょうどの金額を持っていないと駄目なんです。 ということで、おそらくもう察しがついたかと思いますが(笑)、自販機で悪戦苦闘している間にバスが出発してしまいました。 そしてさらに驚いたことに、空港と最寄りのシャンピーノ駅を結ぶ連絡バスは、なんと30分〜1時間間隔での運行なんです。 空港からローマの都心へではなく、シャンピーノ駅へ行くバスがですよ、参りました。 でも、ローマのタクシーは悪質だと聞いていたので(正規のタクシーでもぼったくります)、タクシーには絶対乗らないぞ!!

ということで、結局30分くらい待ち、別の会社が運営するバスに乗って駅に到着し、そこから電車でテルミニ駅に着きました。 予定では、時間があればサンタ・マリア・マッジョーレ教会にこの日のうちに行くつもりだったのですが、もう全然間に合いませんでした。 この日は駅近くのレストランで、庶民的なスパゲティを食べて終了です。


 〜 第2日目 〜

サンタ・マリア・マッジョーレ教会

テルミニ駅から直ぐのところに堂々とそびえ建つが、ローマの四大聖堂の一つ、サンタ・マリア・マッジョーレ教会(Santa Maria Maggiore)です。 時は356年、法皇リベリウスの夢に聖母マリアが現れ「今晩雪が降ったところに教会を建てよ」とお告げが。 そして8月15日の夏の夜にもかかわらずこの場所に雪が降り、建てられたのがこの教会です。 その後も歴代の法皇によって改修が重ねられてきました。

堂々とした外観 5世紀に作られたモザイク ドームの内側もこの美しさ

内部に並ぶ36本の柱は古代ローマの神殿から運ばれたものだとか。さらに入り口付近の天井の一部には、 コロンブスが新大陸から初めて持ち帰った金が使われているという話もあるそうです。 駅の近くで他の名所からは離れているため観光ルートから外れがちかもしれませんが、訪れて観る価値充分の教会です。

コロッセオ、 コンスタンティヌス帝の凱旋門

コロッセオ(Colosseo)は言わずと知れた楕円形の競技場であり、古代ローマ最大の建築物です。 周囲527m・長径188m・短径156m・高さ57mの4階建ての巨大な競技場で完成したのは紀元80年です。 収容人数は一説では5万人で、ここで年に100回以上も猛獣と剣闘士、または剣闘士同士の凄惨な戦いが見世物にされたそうで、 建築物は立派でも、内容は考えただけでも恐ろしいです。建物の相当部分が虫食いのようになっている姿は、 風化して崩れてしまったからではなく、後に建築資材として大理石が持ち去られたためで、 サン・ピエトロ寺院の建設にもここから資材が持っていかれたそうです。

超巨大な建築物 地下は猛獣の檻や道具倉庫、舞台装置など 脇に建つコンスタンティヌス帝の凱旋門

コロッセオのすぐ脇に建っているのが、コンスタンティヌス帝がマキセンティヌス帝に戦勝したことを記念して315年に建てられた コンスタンティヌス帝の凱旋門(Arco di Costantino)です。 こちらは修復作業がされた後のようで、ほぼ完全な形で残っています。この凱旋門のすぐ前では、 新たな発掘作業が行われていました。どうやらここに円形の大きな噴水があったらしいです。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂、フォリ・インペリアーリ

1870年のイタリア統一の立役者であり初代国王のヴィットリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられたのが ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento a Vittorio Emanuele II)です。30年以上にわたって中には入ることが出来なかったそうですが、 2000年末から一般公開が始まったということで、入り口を探して正面に沿って歩いていると、 なんとそこにはたくさんの花束とイタリア国旗がありました。そう、それらは11月12日にイラクで亡くなったイタリア軍兵士への追悼だったのです。

大理石で作られた祈念堂 たくさんの花束とイタリア国旗 再発掘が進むフォリ・インペリアーリ

今回は一番上にある天井のフレスコ画を観ることは出来なかったのですが、それでも上からのローマ市街は眺めは良かったです。 コロッセオやフォロ・ロマーノ、遠くにはサン・ピエトロ寺院のクーポラまでが見えました。 通りを挟んで反対側にはフォリ・インペリアーリ(Fori Imperiali)があります。フォリ(=公共の広場)インペリアーリ(=皇帝)ということで、 歴代の皇帝が築いた施設が集まった場所で、集合ビルや講義室、飲食店、小売店、倉庫、市場などがあったそうです。 しかし、それをあのムッソリーニが埋めてしまったうえ、その上に道路まで作ってしまったため、 遺跡のほとんどが未だ埋まっている状態なのです。それをここ数年再度発掘する作業が行われているそうです。

パンテオン

こちらも有名なパンテオン(Pantheon)。紀元前27〜25年にアグリッパが造らせたオリジナルは西暦80年に焼失、 その120年後にハドリアヌス帝が建て直したものが現在の建造物です。 7世紀には教皇ボニファティウス4世が、神殿から聖母マリアと殉教者たちに捧げるカトリック教会へと変えましたが、 そのことが古代ローマ時代に造られた形をほぼそのままに現存することが出来た大きな理由のようです。

古代ギリシャ建築のような柱群 光が差し込む天窓 埋葬されているラファエロ

ミケランジェロが"天使の設計"と賞賛したというこの建造物の正面には堂々とした柱が並び、 丸天井には直径9mの天窓が開いています。ここから入る光がモザイクの床を照らし、それは日時計の機能も持っているそうです。 内部には様々な彫刻と並んで、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世、そしてラファエロが埋葬されています。

ナヴォーナ広場

美しい3つの噴水で有名なナヴォーナ広場(Piazza Navona)は、南北約250mの細長い形をしています。 ここはローマ時代の競技場跡で当時は戦車競技が行われ、中世には広場一面に水を張って水遊びの場となっていたそうです。 噴水は南から「ムーア人の噴水」「4大河の噴水」「ネプチューンの噴水」です。 中央にある「4大河の噴水」には、ナイル河・ガンジス河・ドナウ河・ラプラタ河の4つの大河を擬人化した彫像があり、 それらを従えるようにして真中にオベリスクが建っています。

ムーア人の噴水 4大河の噴水 ネプチューンの噴水

ナヴォーナ広場は昔からローマの人達の憩いの場であり、車が入ってこれないこともあり良い雰囲気ですが、 それと同時に観光客目当ての変なヤカラもたくさんいます。事実、私のところにも「ナカタ!! ナカタ!!」といいながら ミサンガをもって近寄ってきた男がいました。この広場に限らず、ローマはかなり危ない場所だという覚悟と警戒心が必要だと思います。

真実の口

映画『ローマの休日』であまりにも有名な真実の口(Bocca della Verita)。 海神トリトーネの顔が模られた大理石の大きな円盤で、古代ローマ時代の排水口の蓋だったという話もあります。 今でも多くの観光客が訪れて、手を口に入れて記念撮影をしています。

手を入れての記念撮影はお約束 これが教会です 売店の部屋にあるモザイク

真実の口があるのは、建てられたサンタ・マリア・イン・コスディン教会です。決して豪華ではありませんが、 逆にそれが神聖な雰囲気を作ってますので、教会の中にも是非訪れてほしいものです。 あと、教会の売店にあるモザイクは素晴らしい作品です。これもお見逃しの無いように。

サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会

紀元前38年に1日中油が湧き出る奇跡が起こった場所に、教皇カリストゥス1世が建てた礼拝・集会所を起源とするのが このサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会(Santa Maria in Trastevere)で、 ローマで最古の教会といわれています。 教会内部に並ぶ22本の円柱は12世紀の教皇インノチェンティウス1世の時代に行われた再建の際に、 カラカラ浴場などの古代ローマ遺跡から持ってこられたものだそうです。 天井には金箔があしらわれ、内部の壁はモザイクとフレスコ画で埋め尽くされています。そこに光があたるとそれはもう荘厳なもので、 特にモザイクはひとつひとつのかけらが光を放っている様に輝くので、一層の凄さがあります。

ローマ最古の教会の内部 金箔で輝く天井 「聖母戴冠」

実は、通常はこの照明は点けられていない様で、 私達が行った時にたまたま何かの御一行様が訪れていたためにこの光景を見ることが出来ました。また、一番前の壇上もロープで仕切られていて 立ち入り出来ないようになっているのですが、それもこの御一行様のために開けたようで、 私達もそれにまぎれて壇上に上がり、一番前の真下まで進んで眺めることが出来ました。私達が見終わって、 教会の中程まで戻ったときには、ロープが再度戻され照明も消燈されました。素晴らしいタイミングでラッキーでした!!

サント・アンジェロ城

ハドリアヌス帝が自分の霊廟として139年に建造、中世以降は要塞、牢獄、法皇の住居などと様々な使われ方をしながら 残ってきた建物がサント・アンジェロ城(Castel Sant Angelo)です。"サント・アンジェロ"とは"聖・天使"という意味で、 これはペストが流行した590年に、この城の上に天使が現れ、剣で悪疫を打ち払うペストが消えて平穏が訪れた、 という伝説からきています。その大天使ミカエルの大きな像は城の屋上に立っています。 城の中に入っていくと、要塞に使われていた名残を表すかのように、 石の砲弾が山と積まれている場所が何箇所かありました。また、城の内部は博物館にもなっていて、武器、武具などが展示されています。 中には美しい部屋もありました(これが何の部屋かは分かりませんでしたが)。

暮れてきた空に映える城 城の中にある美しい部屋 サン・ピエトロ大聖堂も見えます

また、城のテラスから眺めるローマ市街の風景は素晴らしいものでした。ここからはサン・ピエトロ大聖堂も見ることが出来ます。 そうそう、ヴァチカン市国というと、サン・ピエトロ大聖堂とヴァチカン美術館だけを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、 市国外にもヴァチカンは領土を持っていて、このサント・アンジェロ城やサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会なども ヴァチカンの領土です。


 〜 第3日目 〜

サン・ピエトロ大聖堂

言わずと知れたカトリックの総本山であるヴァチカン市国、そこにあるキリスト教最大の教会がサン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro)です。 1世紀、聖ペテロが逆十字架にかけられて殉教し埋葬され、2世紀にその墓の上に小さな礼拝堂が建ち、4世紀になってこれが大聖堂になります。 15世紀に教皇の御座所となり、16世紀に始まった再建工事では、プラマンテ、ミケランジェロ、ラファエロ、ベルニーニなど一流の芸術家たちが設計を手がけ、 120年の歳月をかけて完成されたのが現在の大聖堂です。 1929年2月にローマ教皇庁とイタリア政府の間で、ヴァチカン城壁内における教皇の領土権を認める「ラテラーノ条約」が結ばれ、 世界最小の国家、ヴァチカン市国が誕生します。この条約で、ヴァチカンは市国外にも領土を持つこととなり、サント・アンジェロ城、 サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂などがそうです。

広場からみた大聖堂 ミケランジェロ作 ピエタ ベルニーニの大天蓋へ続く中央身廊

とにかく巨大で長さが187mもある大聖堂、身廊の幅も58mあります。あまりの大きさと豪華さで感覚が麻痺するほどです。 入ってすぐ右側の奥に、ミケランジェロ作のピエタがあります。また、中央身廊に戻って進んでいくと、有名な聖ペテロ像があります。 事前に聞いていた通り、訪問者が触れたり口付けをしているため、両足ともひどく磨り減っていまして、特に右足は指の境が分からないほどです。 有名な大天蓋に司教座の祭壇、モニュメントの他にもおびただしい数のモザイク・彫像・絵などで装飾された大聖堂は、 とても言葉で説明出来るものではありませんでした。

クーポラ内の上から下を見るとこうです 更に上って行く通路(この後で再度階段) クーポラの上からみた広場

クーポラには上ることが出来ます。全て歩いて上るのはかなりきつかったですが(笑)、途中まではエレベーターで上がることも出来ます。 クーポラ内部の眺めも素晴らしいですし、上から観る広場そしてローマ市街の眺めも本当に素晴らしいものなので、 サン・ピエトロ大聖堂を訪れたらクーポラに上がることもお忘れないように!!

[補足1]
前日のヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂へ行った時、イタリア兵士がイラクでテロの被害を受けたため、 たくさんの花とイタリア国旗があったことを書きましたが、イラク戦争に絡むテロの影響はここヴァチカンでも見られました。 サン・ピエトロ大聖堂に入るのに長い長い列が出来ており、私達もそれに並んで順番を待って入ったわけですが、 実はこの長い列は、X線での荷物検査と金属探知機による身体チェックの順番待ちの列だったのです。 飛行機に乗るときに、空港で搭乗ゲートに向かう前に受けるチェックと同じで、厳しいセキュリティ対策が布かれていました。

ボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)

もともとの計画では、この日の午後にヴァチカン美術家に行く予定でした。ところが行ってみてビックリ。 なんと秋冬(大まかに言って11月〜3月)は12時30分で入場終了なんです。知りませんでした。これは困った。ヴァチカン美術館を見ずして帰るわけには行かないでしょ!! 急遽、順番を入れ替えて翌日の朝に行く予定だったボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)にこれから行き、明日の朝にヴァチカン美術館へ 再度来ることにしました。といっても、ボルゲーゼ美術館は入場するためには基本的に事前の予約が必要なのです(この予約を翌朝一番の時間帯に入れてあったわけです)。 予約でいっぱいになっていないか当日キャンセルが出ないとその場では入れないんですが、とにかく行ってみることにしました。

ボルゲーゼ美術館はボルゲーゼ公園(Villa Borghese)の中にあります。ボルゲーゼ公園はボルゲーゼ枢機卿(教皇パウルス5世の甥)が 17世紀に家族のために作った庭園で、広大な敷地の中に博物館・美術館・動物園・馬事公苑などがあります。 私達はピンチャーナ門を通って南東の入口から公園に入りました。美術館までは暫く公園内の散歩になります。 これ松かも、と思う樹木に間を抜けて5〜10分程度の散歩を終え、美術館正面にたどり着きました。ダメもとで受付で聞いてみると、 なんと幸運にも夕方の分に空きがあったのです。早速その時間の予約をしました。よかったよかった。 ふと気がつくとヴァチカン美術館から大急ぎでここへ来たため、お昼ごはんを食べていなくて、もうお腹がペコペコ。 入場時刻までは40分以上あったので、建物の中のカフェで軽食を食べて過ごしました。

公園の南側にあるピンチャーナ門 松かもしれません、この樹 やっと美術館に到着

ボルゲーゼ美術館はボルゲーゼ枢機卿の館をそのまま美術館にしたもので、枢機卿のコレクションが中心です。 ラファエロ、ベルニーニ、カノーヴァの作品を初めとした素晴らしい作品の数々を観ることが出来ました。 残念ながら美術館の中は撮影禁止だったので、写真がありませんが、 ベルニーニ『プルトンとプロセルピナ』、ラファエロ『降架』などは一目観ればああこれ!!という有名な作品です。 また、カラヴァッジォの作品も多く所蔵されていて、『バッカスに扮する自画像』もここにあります。 場所的にはスペイン広場から歩いて来られるところですので、ここも是非訪れていただきたい場所です(通常は事前に予約をしないと入れません)。


 〜 第4日目 〜

ヴァチカン美術館(Musei Vaticani)

昨日は入れなかったヴァチカン美術館(Musei Vaticani)へ向かいました。8時45分の開館前から並ぶつもりだったのですが、 旅行も4日目ということでちょっとばかし寝坊してしまいまして(笑)、着いたのは9時15分頃でした。 そしたら、なんと既に長い長い列が出来ているではありませんか。長さは少なく見積もっても500mはありそうです。 参りました。でも、今日こそはヴァチカン美術館に入らなくては、そしてシスティーナ礼拝堂にある 修復の終えた『最後の審判』を観なくては、ということで列に加わり、40分以上かかってやっと入館することが出来ました。

[補足2]
中に入ってから分かったのですが、実はこれもX線での荷物検査と金属探知機による身体チェックの順番待ちの列だったのです。 ヴァチカン美術館は訪れる人が多い上にこの時期は午前中しかチャンスが無いわけですから、それだけでも行列になるわけです。 そしてそれに加えてここでも厳しいセキュリティ対策が布かれているため、さらに入館のための列が長くなっていたわけです。 大聖堂だけでなく美術館でもこの状況です。

ヴァチカン美術館は、ルネサンス以降の法皇のコレクションを中心にして発展し、現在は世界最大級の美術館の1つとなっています。 建物の中には法皇庁や法皇の部屋のほか、博物館、美術館、絵画館、図書館などが入っています。 もちろん、あの有名なラファエロの間(Stanze di Raffaello)、そしてシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)もここにあります。

順路に従って進んでいくと、まずは彫刻などが並ぶギャラリーがあり、次にタペストリーのギャラリーに続きます。 ここに展示されているタペストリーは、元々はシスティーナ礼拝堂を飾っていたものですが、1538年に現在のギャラリーに移されたそうです。 次は地図のギャラリーで、なんと1580〜1585年に製作された40枚もの地図のフレスコ画が展示されている素晴らしいものです。

地図のギャラリー 『聖体論争』(左)と『パルナックス』(右) ラファエロの自画像 ヴァチカン図書館

さらにいくつか間を観ながら進んでいくとラファエロの間(Stanze di Raffaello)に至ります。ラファエロの間は、 火災の間・署名の間・エリオドーラの間・コンスタンティヌス大帝の間に分かれています。この中で有名なのが、 署名の間(Stanza della Segnature)で、ラファエロが最初に手がけた部屋であり、 そこには『聖体論争』『パルナックス』『アテネの学堂』があります。 『アテネの学堂』には描かれた多くの人影に隠れてラファエロ自身の自画像も描かれています。 ラファエロのフレスコ画にはその芸術性は当然のことながら技術的にも素晴らしいものがあります。 それはそれらのフレスコ画が、壁に描かれた絵というよりも壁そのものになっているということです。 どういうことかといいますと、まず壁に漆喰を塗り、その上に下絵を描きます。 次に、さらにその上に下絵が薄く見える程度に漆喰を塗り、その漆喰が乾かないうちに絵を描いていくのです。 つまり漆喰に絵の具がしみこんで漆喰そのものが絵になっていく技法です。

ラファエロを堪能したあとは、いよいよシスティーナ礼拝堂です。ここは撮影禁止のため、残念ながらお見せできる写真がありません。 しかし、とにかくシスティーナ礼拝堂は言葉を失う凄さです。正面の壁に描かれたミケランジェロの『最後の審判』は大きさといい美しさといい圧巻です。 そして天井には『アダムの想像』が描かれていて、こちらも素晴らしいものでした。1980〜1992年に天井画、1990〜1994年に『最後の審判』が修復されました。 それまでは長年に渡る蝋燭の煤、そして度重なる修復(しかしそれまでの修復は絵を一層暗くしただけ)の結果、「ミケランジェロの絵画は色彩よりデッサン」という 常識が出来上がってしまったほどだったそうです。しかし、今回の修復によって蘇った絵に、多くの美術史専門書はミケランジェロの項目を書き直さなくては いけなくなったそうです。とにかく美しくて、もの凄くて、言葉では説明できません。ヴァチカンに来てシスティーナ礼拝堂を観ずに帰ったら一生後悔しますよ、きっと。

このシスティーナ礼拝堂は、いまでも法皇を決める時に使われているそうです。枢機卿らが集まり、最終的に次期法皇が決まるまで非公開で行われるそうです。

トレヴィの泉

肩越しにコインを投げ入れると再びローマを訪れることが出来るという話で有名なトレヴィの泉(Fontana di Trevi)は、 多くの人で賑わっていて、本当に背中を向けてコインを投げている人もたくさんいました。もちろん私達もコインを投げてきました。 トレヴィとは三叉路のことだそうで、泉の前から3本の道が延びていることに由来しているそうです。

ニコラ・ラルヴィ設計 1762年完成 106種類のスパゲティが楽しめます

このトレヴィの泉からすぐの場所にあるL'ARCHETTOというレストランで昼食をとりました。ここは106種類ものスパゲティで有名な店です。 メニューを見てビックリ、正確に数を数えたわけではありませんが、本当にありとあらゆる種類のスパゲティが載ってました。 そして食べてまたビックリ、この旅行でずっとイタリアンを食べているんですが、とにかくスパゲティはここが一番でした。 ローマに来たら一度はここへ食べに来て見てください。なお、シーフード系のスパゲティは火曜日・木曜日のみということでした(仕入れの関係?)。

コロンナ広場、ショッピングストリート

アウレリウス帝の戦勝記念として193年に完成した円柱(コロナン)が建っているコロンナ広場(Piazza Colonna)は、 トレビヴィの泉からすぐ近くにあります。ここからポポロ広場(Piazza del Popolo)へいく途中に 世界的に有名なブランドをはじめとするたくさんのお店がならぶショッピングエリアになっています。 この辺りは女性の方々には説明不要の地区ですよね(笑)

戦勝記念柱(コロナン) あちこちに有名ブランド店が 小さくてお洒落なお店もあります 夜のトレヴィの泉

私達も一通りショッピングを楽しみ(もちろん途中にイタリアンジェラートを食べることも忘れませんでした)、 またトレヴィの泉に戻ってみました。ライトアップされた夜のトレヴィの泉もなかなかでしたよ。


 〜 第5日目 〜

ローマ国立博物館

最終日は荷物をたくさん持っていたためテルミニ駅周辺のスポットに絞り、駅のすぐ東側にあるローマ国立博物館(Museo Nazionale Romano)に行きました。 テルメ・ディ・ディオクレツィアーノ浴場遺跡の一画で、実際、博物館の建物の一部の壁を遺跡と共有しています。 主な美術品を近くのマッシモ宮へ移す作業が行われていたため、長い間半分休館状態だったようですが、 その移転作業もすっかり終わり、今はしっかり展示が行われています。逆に美術品が移転されたため、 こちらに残っているのは浴場遺跡からの出土品やローマ時代の彫刻などが主で、 美術品を観たい人にはここではなくマッシモ宮へ行かれた方が良いでしょう。

茶色の壁は浴場遺跡そのもの 出土品などが並びます 猫が寝ててもOKの国立博物館

随分とローマ観光をして遺跡や建築物を観た後だと、正直に言ってあまり興味が惹かれませんでした。 もちろん、分かる人が見れば貴重なものなんだと思うのですが。むしろ、博物館の建物の中、そして中庭にこれだけ出土品や彫刻が並んでいると、 さすがローマ、土を掘り返すとゴロゴロ出てくるんだろうなぁと、変んなところで感心してしまいました(笑)。 面白かったのが、入口のカウンターの上に猫が寝ていたことです。 ここは国立の博物館、その入口のカウンターに猫が寝ていても、博物館の人も全然気にしていないんですね。 日本ではちょっと考えられませんが、それくらい細かいことを気にしない国なんでしょうね。

マッシモ宮

国立博物館から共和国広場を挟んで反対側にあるのがマッシモ宮(Palazzo Massimo)です。 前述の通り、国立博物館から移された美術品などが展示されているところで、こちらは是非とも訪れたい場所です。 ただし、最上階の部分はガイドツアーのみになっており、入場券を買った時に参加出来るガイドツアーの時間が指定されています。 その最上階にあるのが古代のフレスコ画で、これは見事です。保存のためにかなり暗い部屋に展示されていますが、 その色使いの素晴らしさも含めて見ごたえ十分です。他にも古代のモザイクなどが展示され、世界有数の古代美術コレクションというのがうなずけます。

フレスコ画『夏』 1世紀頃のモザイク 5世紀以降のモザイク

モザイクで面白いのは、1世紀頃までのモザイクで使用されているかけらは、広が違うだけでほとんど同じ大きさと形なんです。 まさに"点画"の様に描かれているわけです。一方、5世紀以後のモザイクのかけらは、絵の部分によって大きさや形がちがいます。 つまり絵を構成する部分部分にあわせて色・形・大きさを使いわけて描かれているわけです。 そうそう、ここに掲載している写真、実は非常に貴重なものです。というのもマッシモ宮は撮影禁止だからです。 実際、他のフロアで撮影していたら注意されましたし、最上階は入口のところに撮影禁止と表示されていました。 もちろん私だって、禁止といわれれば撮影はしません。ところが同じガイドツアーにいた人(西洋人)が、一眼レフのカメラでパシャパシャと撮影してるんですが、 ガイドの人も付き添って歩いている博物館の係員も何も言わないんです。それなら私も撮ってみようということでいくつか撮影してきました。 何も注意されませんでした。不思議ですね、この国は。


 〜 感 想 〜

ということで、4泊5日のローマ・ヴァチカンの旅、大変楽しかったです。さすが古代からの歴史を持つ街は凄いですね。 それらが残っていることが素晴らしいです。なにせ目の前に1500年〜2000年以上も前に作られたもがあるわけですから。 ヴァチカンも素晴らしかったです。サン・ピエトロ大聖堂、そしてヴァチカン美術館は、 とにかく実物を観なければ分からない凄さでした。もちろん、この旅行を通して食べていたイタリア料理も美味しかったです。

その一方で、本当に危ない街でもあります。歩いていると「コンニチハ」「ナカタ、ナカタ」などと近寄ってくる輩がたくさんいます。 レストランへいっても日本語のメニューがあり「コンニチハ」と愛想よく話かけてくる店にかぎって、 お会計の際、平気でお釣りを誤魔化したりします。私も一度これをやられましたが、さすがにもう1年もユーロを使っていてコインの種類も分かりますから、 すぐさま違うと文句をいって、正しいお釣りを出させました。また、最終日の国立博物館の前では、少女の2人組が何か言いながら近づいてきましたが、 手にセーターのようなものを掛けていたので、無視して通り過ぎました。手に掛けたセーターは、スリをする際に手元を見られないようにする為のものなのです。 そのすぐ後で後ろから英語で叫び声が上がりました。振り返ってみると、旅行者の女性2人のうち1人が声をあげたのです。なぜなら、先ほどの少女2人組が、 もう1人の女性が背負ったリュックのポケットから中身をすろうとしていたからです。ファスナーが既に3分の1ほど開けられてましたが、間一髪、助かったようです。 すると少女2人組は見つかってしまったせいか、ムスッとした顔でその場を立ち去っていきました。 私達は危ないことを知っていたので利用しませんでしたが、タクシーも危ないらしいです。白タクはもちろんのこと、正規のタクシーでも料金をボッタくろうとする 運転手もいるということです。ユーロへの両替も気をつけてください。空港や街の両替所はおろか、 ちゃんとした銀行であっても、窓口の銀行員によっては両替金額を誤魔化すそうです。

こんなに立派な遺跡や美術・彫刻、ヴァチカン市国、そして美味しいイタリア料理を持っている街なのに、 なんでそんなことをしようとするのか理解できません。本当にもったいないことです。 とにかく旅行の際には十分にお気を付けください。

お土産

そしてお土産もいろいろと買ってきました。ネクタイ、手袋、バスローブ、ワイン、陶器の皿、チョコレートなどなどなど。

今回のお土産一覧 こちらがフィンランドの1ユーロ

そうそう、さすが有数の観光地だけあって、イタリアのユーロコインだけでなく他の国のもいろいろ混じっていまして、 お釣でもらった中にも今まで見たことの無いコインがありました。帰宅してから調べてみると、なんとフィンランドの1ユーロコインでした。 これも今回の大きな収穫の1つでした。

home
inserted by FC2 system